LOGIN「加藤、レジの使い方を教えるから付いてこい」
「はい」
仲森さんは昔と違って口調はきついけど、教え方は丁寧で優しい。昔と180度変わってしまった性格、変わっていない性格。
わたしを“加藤”と呼ぶ声。
少し寂しい気もしたけど、これでよかったんだよね……?少なくともわたしはこれでよかったと思ってるよ……
“仲森さん”と“加藤”これで上司と部下としての関係が成り立った。それから先は干渉しなければ問題ないのだから。
「加藤、分かった?」「はい、ばっちりです」
特に機械音痴というわけではないので、案外簡単にレジの使い方を覚えられた。 仕事に集中しよう……集中すれば、仲森さんのことや過去のこと……全て忘れることが出来すのだから。
この思い出しやすい環境にいたとしても…… 「それから、レジは応対したお客様が会計する時に、各自俺たちがレジをすることになってるから」「はい。分かりました」
それから接客において、一通りの注意を受けた後、いよいよ10時になり開店の時間に。お昼辺りになっても未だ数組しか来店していない状態。
わたしだけじゃなくて、他の人たちも暇で暇で仕方がないって感じだ。
「やっぱり本店とは全然違うでしょう?お客が入らな過ぎて驚かなかった?」 ボケーっとしていたところへ、挨拶の時に一際目立っていた美人の人が話しかけてきた。あれ……?この人って、確かジョンに全く興味を示してなかった人だよね……?
「えっと……?田畑……さん?そうですね、向こうは本場なので……まぁ」 胸についたネームを見ながら、彼女の名前を確認。 「やっぱりそうなのねぇ……あっ、それから私のことは幸でいいわよ」 この人は他の女性社員と違って、話しやすい人だった。出来る女という言葉が相応しそうな、そんな完璧な女性だと思った。
そして、13時を回ろうとしていた頃…… 「加藤、先に昼とっていいぞ」「え……あ、はい」
仲森さんに“加藤”って呼ばれるのまだ慣れないなぁと思いながら、さっそくお昼にしようとした。5人くらいしか入れないSTAR☆店の店員のみの休憩室でお弁当を広げた。
「……はぁ。とんでもないことになっちゃったなぁ」「とんでもないことって?」
「へ……きゃっ!」
この中には誰もいないと思っていたのに、いきなり声がするものだから、驚いてパイプ椅子から転げ落ちそうになってしまった。 危ない、危ない……体勢を整えて、ホッと安堵の溜息が漏れた。
わたしに声をかけてきたのは、キラキラのオーラを纏った幸さんだった。
「大丈夫?ごめんなさいね、突然話しかけたからびっくりしたでしょう?」「あっ、いえ。大丈夫です……」
「そう……それにしてもあれは本当だったみたいねぇ」
わたしを見定めているようにジッと見つめられ、微かに聞こえてきたこの言葉。あれ……?あれって一体どういうこと……?
「あっ、気にしないで。こっちの話だから」「はい……?」
少し腑に落ちないまま、わたしの向かいに座る幸さんをちらりと覗いた。さっきのは一体なんだったんだろう……?
まさかね……一瞬ある考えが浮かんだけれど、出来過ぎていると思ってすぐに頭から消去した。
「久しぶりの故郷はどう?」「そうですねぇ。あまりに変わってて……ってあれ?わたし、昔ここに住んでたって言いましたっけ?」
「え?あ……あれ?さっき私にそう話してくれなかった?」
わたし、幸さんに話したっけ……?たぶん話してないと思うんだけど……そう思いながら、先程の幸さんとの会話を必死に思い出していた。
やっぱり、話してないような……
「……あっ、そうそう。あの人から聞いたんだったわ。名前何だったかしら……ほら、あなたと一緒に来た……」「ジョン……ですか?」
「そうそう。その人から聞いたのよ」
この歯切れの悪さ……かなり怪しい。多くの疑問を抱きながらも、あえてそこには触れなかった。
「さっきも思ったんですけど、幸さんってジョンに興味ないんですか?」「そうねぇ、かっこいいとは思うけど、別に興味はないわね」
「そうなんですか……。初めてです、ジョンに興味を示さなかった女性は」
いつでもどこでも女性にちやほやされているジョンばかりを見てきた。幸さんみたいな、ジョンに靡かない女性は初めてで少し驚いてる。
「当たり前じゃない。私は彼氏一筋だもの」「あっ、彼氏……」
そうだよね、こんな美人なんだから彼氏がいたって不思議じゃない。 「私に彼氏がいるの、そんなに意外だった?」「いえ、そういうわけでは……」
「ふふっ、まあ、ジョンに興味を示さなかった人は私が初めてって言ったけど、まだいるんじゃない?」
「え……他に?」
誰かいたっけ……ジョンに興味を示さなかった人って。わたしが知る限り幸さんが初めてだと思ったんだけど……
「あなたもジョンに興味ないように見えたけど?私の気のせいだったかしら?」「あっ、確かにわたしも……」
「ねぇ、そうでしょう?確かに顔はいいけど、軽そうじゃない。私、ああいう人苦手なの」
なんだか気が合うなぁと思っていたら、幸さんと目が合った。幸さんはクスッと笑うと、大人っぽい女性から一気に可愛い女性へと変化する。
本当に魅力ある女性だと思う、幸さんは。今日会ったばかりだけど、幸さんとは上手くやっていけそうな気がした。
「せっかくの3連休だったのに……」ふと不満を漏らすと、隣から必死に謝罪の言葉が並べられた。「ごめん!ほんと、ごめんって!」車の運転をしながら、わたしに必死に頭を下げているのは秀ちゃん。どうしてこんなことになったのかというと、秀ちゃんの寝坊が原因だ。朝が弱い秀ちゃんのことだから、寝坊なんてよくあることなんだけど、よりにもよって、今日まで寝坊しなくてもよかったのに。だって、今日は秀ちゃんとずっと約束していた旅行に行く日だったのだから。「麻菜、ほんと、ごめんって!」今日の秀ちゃんは謝ってばかりだ。「もういいって、秀ちゃん。わたしも悪かったし」「いやいや、こんな大事な日に俺が寝坊なんてしなければ」「でも、わたしが道に迷わなければ、こんなところに来なかったわけだし」そう、目的地は大阪のはずだった。本当は。でも、現在地、なぜか奈良県。「ぷっ……くくっ……確かに」秀ちゃんが笑うのも当然だ。大阪に行くはずが、奈良県に着てしまったのだから。わたしのナビのせいで。「ははっ!ケータイのナビでどうやったら、奈良に来るんだよ」「そんなに笑わなくても……」「だってさ、くくっ……」「もう!そんなに笑うんなら、秀ちゃんがナビ見ればよかったじゃない!」「運転しながらケータイ見れないし、しかもそれで迷うなんて思ってもみなかったしな」いまだに笑っている秀ちゃんに、少しムッとした。わたしだって、迷いたくて迷ったわけじゃないのに!
「そうなのよー、村田ちゃん!この二人ね、高校時代も付き合ってたらしいんだけど、その時についたあだ名が“癒し系カップル”なんだって」「確かに、今の笑い合ってる姿見たら、そう呼ばれてたの分かる気がします!」「でしょー?見てると、こっちがほのぼのした気持ちになるから不思議よねぇ」幸さんと村田ちゃんの会話。それが、高校時代の記憶を再び蘇らせた。“癒し系カップル”まさか大人になっても、そう呼ばれるなんて思ってもみなかったけど……こう呼ばれるのは嫌いじゃない。「仲森さんって、麻菜さんの前ではデレデレしてますよね」「そうよー、村田ちゃん、知らなかったの?麻菜ちゃんの前の秀平ったら、もうデレッデレで困っちゃうのよー」幸さんの言葉に秀ちゃんの視線が鋭くなった気がしたけど、放っておこう。もう半分くらいは機嫌悪くなってるはずだから。「しかもさっき、麻菜さんと休み被せてましたよね?」「きっと、何かあるわよね」ジッと見つめる二人に、秀ちゃんはわざとらしく溜息をもらした。これじゃあ、何のための飲み会だったか分からなくなりそうだ。いつの間にか、わたしと秀ちゃんの話題ばかりになっていたから。「はぁー、麻菜と旅行行く約束してんだよ」これで満足かと言わんばかりに、面倒くさそうに答えた秀ちゃん。面倒くさそうにしてても、結局は教えてあげるのね。「旅行ー!?麻菜ちゃん、いいわねー!」幸さんが羨ましそうに、目を輝かせている。「高校生の時、旅行行きたいねって話してて。秀ちゃん、それを叶えてくれるって……」照れながらも幸さんにこう言うと、よかったねと微笑んでく
「かんぱーい!」店長の気まぐれで急きょ開かれた飲み会。メンバーは店長、幸さん、ジョン、村田ちゃん、それから、秀ちゃんとわたしの6人。たまたま残っていた人たちを、店長が飲み会に誘ったため、こんな異様なメンバーでの飲み会となった。「今日は店長の奢りよ!ジャンジャン飲みましょー!」何故か一番盛り上がっているのは幸さんで、いつも以上のノリの良さで、わたしにビールを注いでくれた。って、幸さん。わたし、そんなに飲めませんって……言っても、今の幸さんには聞き入れてもらえなさそうだ。「おいおい、今日は割り勘でいこうぜ」店長が誘ったから、わたしもてっきり店長が奢ってくれるのかと思ったけど。どうやら、店長にはその気がないらしい。「何言ってるんですか、店長!店長が誘ったんだから、店長の奢りでしょーよ!しかも上司だし!」「そりゃないって……今日、そんな持ち合わせてないんだよ」「それならそこにコンビニありますから、下ろしてきてもいいんですよー?」いつものことながら、強引な幸さんに店長もタジタジだ。この様子だと、店長の奢りになっちゃいそうだな。「お、おい、仲森。ここは公平に二人で割り勘するか」何故か、ここにきて秀ちゃんに話題を振る店長。「何が公平なんですか。嫌ですよ。それに俺だって今持ち合わせてないですから」「そ、そこを何とか頼むって」「何でですか……嫌なものは……って、あっ」何かを閃いたような秀ちゃんは、ちらっとわたしを見ると、小さく笑った。秀ちゃん……?「店
わたしと秀ちゃんが付き合っているということが、あっという間に職場に伝わって、すっかり公認の中になったわたしたち。そんな中よく聞く噂が、『仲森さんって雰囲気変わったらしいよ』この噂と同時に、何故か同じようなわたしの噂も広まっていた。わたしたちの雰囲気、印象が変わったという噂が、職場に広まったのは、わたしたちが付き合うようになってからだ。「麻菜さんって雰囲気変わりましたよね」「いきなりどうしたの?村田ちゃん」また聞いた、このセリフ。この前、ジョンに声をかけていたぽっちゃりした女の子。村田ちゃんもわたしの雰囲気が変わったと言うのだ。「最近すっごく思うことなんですもん。麻菜さん、変わったなって」「そんなにわたし、変わった?」「はい、すっごく印象変わってますよ!」村田ちゃんは『すっごく』という言葉が好きみたい。この短い会話の中で、もう2回もその言葉を使っている。「なんだか、すっごく、柔らかくなったというか……話しやすくなったというか」また『すっごく』って……ふふ、村田ちゃん、可愛いなぁ。「わたし、話しやすくなった感じがするの?」「はい!すっごく!前は何だか、すっごく近寄りがたい感じがしてたんですけど」「って、村田ちゃんの、わたしの前の印象どんなよ?」「えっ、えっ!いやっ、あのっ!決して、近寄りがたい鬼ハーフさんだとは思ってません!」『近寄りがたい鬼ハーフ』って……わたしって、そんな風に思われてたのか。「村田ちゃんって、嘘吐けないのね」わたしが少し落ち込んだように言うと、彼女は慌てたように言った。
秀ちゃんとまた付き合うことになってすぐに。わたしの生活は大きく変わろうとしていた。まず、「はよ……麻菜」秀ちゃんがこうして毎朝、部屋の前で待っていてくれること。「おはよう、秀ちゃん。今日も眠そうだね」昔から朝が弱い秀ちゃんは、いつもいつも眠そうな顔でわたしを待っている。ほら今も。「ふわぁ……ねむっ」大きなあくびを一つと、まだ完全に開ききっていない瞳。「ふふっ、かわいいかも」こんな彼の姿を見るたびにそう思う。「……なにか言った?」「ふふっ、ううん、何でもない」「ふーん……じゃあ、行くか……」まだ眠そうな秀ちゃんの隣で、一緒にこれから出勤。「今日、日中はかなりの暑さになるらしいよ、秀ちゃん」間もなく厳しい夏に突入しようという時で、電車の中もクーラーがガンガンきくようになった。わたしも扇子を常備していて、暑さ対策も万全になっていた。「うん……そっか……ふわぁ……」「……まだ眠そうだね。仕事中、寝ないでよ」「それは大丈夫……会社着く頃には目覚めるから」本当かなぁと疑いの眼差しを送った。確かに毎回、仕事始まる前には目が覚めてるみたいだけど。いつか仕事中も寝ちゃうんじゃないかって、不安なのよねぇ。「やっぱりあんたたちは一緒じゃないとねぇ」間もなく会社に到着す
「この気持ちを隠しておくなんて、出来ないよぉ……っ!」我慢していた涙が、滝のように流れ出して。もう止められなかった。「え、えぇっ!?ちょっ、麻菜!?」そんなわたしを見て、慌てふためく彼に。「好き……」ついに、伝えてしまった。「麻菜……いま……」「好き!本当はずっと好きだったの」今まで我慢していたものが、一気に溢れ出てきた。「仲森さんのこと忘れたことなんてなかった!好きすぎてどうしたらいいか分からないくらいに!」一気にしゃべり過ぎたせいで、息が上がってしまって……目の前の彼も目を見開いて驚いている。「……麻菜、それ……マジ?」信じられない様子の彼に、ただコクンと頷いた。すると。「やべぇ……嬉しすぎんだけど」仲森さんの余裕のない表情。耳も赤く染まっていて、普段からは想像も出来ない反応。しかし、そんな姿をずっと見せてくれるわけではなく……次の瞬間、勢いよく抱きしめられていた。「ひゃっ!な、仲森さん!」「……やっと。やっと戻って来てくれた」「仲森さん……」痛いくらいにギュッと抱き寄せられて、ふわりと温かい優しい香りに包まれていた。ためらいながらも、背中に腕を回すと。上で彼が小さく微笑んだ気がした。「仲森さん、か…
もしかしたら、わたしは少しでも楽になりたかったのかもしれない。それはわたしのせいじゃないって。言ってもらいたかったのかもしれない。「ねぇ、麻菜ちゃん。ずっと気になっていたんだけど」幸さんに誘われて、初めて二人で職場近くのイタリアンに食事に行った時だった。幸さんが真剣に話を振ってきたのは。「何ですか?」「麻菜ちゃんと秀平って昔何があったの?」「んぐほっ!ごほっ、ごほっ!」何
それから数日後に、STAR-MIXの洋服が届けられた。「麻菜ちゃんの担当はこれね」幸さんに言われ渡されたのは、シャツにフリルのスカートという組み合わせのもの。本日からわたしが出したもう一つの提案も実際に行われることになっていたのだ。わたしたち店員がお店の服を着て、接客を行うというスタイルを。それを手に取り、何とも言えない気持ちになる。「あの……幸さん。これ、わたしには似合わないと思うんですけ
「STAR☆日本店」を潰されないために、従業員全員が一丸となって必死に働いていた。常にスタッフルームはピリピリとしている。今年中に何としてでも売り上げを伸ばさないと。あと8ヶ月もないから、もっと頑張らないと。そんな気迫が伝わってくる。そして、あたしがした“ある提案”は、ジョンによって順調に進められていた。その結果が入ってきたのは、つい今朝のこと。「麻菜!聞いて喜べ!」「どうし
「二人は付き合ってるわけじゃないんだよね?」「それは、あり得ない」「そっかぁ。でも、麻菜が僕のプロポーズを断り続けてるのって、少なくとも仲森さんが関わっている。違う?」いつもは軽いジョンだけれど、たまに真剣な顔して告白してくることがあった。わたしはどうしても誰とも付き合う気にはなれなくて、ずっと断っていたけれど。それに仲森さんが関わっているかというと……「それは、違う」わたしは嘘を吐く。